NPO法人 緑区子どもサポートセンター
   第37号 平成 年 月

子どもが楽しみながら自分自身を大切にする

〜「こどものまち」は、遊びのサンクチュアリ!〜


緑区子どもサポートセンターでは、今年の6月9日(土)〜10日(日)の2日間、土気駅前のバーズモール商店街にて「こどものまち」の開催を企画しています。
今回は「あそびのまち社」のみえけんぞうさんに「こどものまち」について文章を寄せていただきました。


■身の丈サイズの挑戦と新たな喜びへの扉

「こどものまち」のなかで、子どもたちは精一杯の挑戦をする。
彼らは「仕事」を模した遊びの中で、創意工夫を遠慮なく追求する。
中村桃子は「遊びが保障されることで、彼らは精一杯の挑戦が出来る」のだ、という。
失敗を恐れず、失敗を笑って済ましつつも、うちなる反省とつぎなる挑戦に結びつくのか。
子どもたちにとっては己を知り、友だちを知り、一緒に何かを行なうことの楽しさを知り、限界を知り、それを乗り越える面白さを味わう、一つのきっかけとなのだろう。
こうした一連の出来事を通して、子どもたちが勝ち取る「自治」は掛け替えのないものだ。

■ミニミュンヘン〜桃子の驚きと中高生の反応

1999年に、中村桃子はドイツ・ミュンヘンの一つのオフィスを訪ねた。
そこはミニミュンヘンを始めたNPO「あそびと文化空間」である。
あいにく、その年はミニミュンヘンを開催する年ではなく(ミニミュンヘンは2年に1度、行なわれている)、中村桃子は現地の事務所で応対をしてくれたカーラ・ザハリアス女史に、アチコチを案内してもらい、ミュンヘンにおける子どもの位置づけに示唆を受けつつ、翌年の再開を約束して帰国した。
翌2000年、彼女はミニミュンヘンに長く滞在し、子どもたち、大人たちと一緒に、ミニミュンヘンを楽しみ尽くした。
子どもたちが物事を決める権限を持ち、それが子どもの力を育み、またそれがどこかしら実社会とつながっていることを肌身で感じ、ミニミュンヘンを生きる子どもたちの力強さに関心と憧れを抱きながら、その体験を日本に、佐倉に持ち帰って来た。
劇場ッコだった中村桃子は、佐倉おやこ劇場(現・佐倉こどもステーション)の青年会員に復帰し、ミュンヘンでの体験やヨーロッパで見聞きした子どもたちが一個人として尊ばれる社会、彼ら子どもたちならではの想像力を生かした社会について、会報「でんでんむし」で紹介した。
ミニミュンヘンをその記事で知り、桃子が持ち帰ったビデオ鑑賞会で知った大人、中高生、青年たちは、そのインパクトに食らいつきながら、佐倉でのミニミュンヘン型行事の再現を夢見て、集会を重ねた。
やがて「ミニさくら」となる「こどもがつくるまち」を、自分たちなりに、そして佐倉の子どもだからこそ、佐倉の大人だからこそ、
出来る形で実現しようとした。
なかでも中高生はミニミュンヘンというあそびを飛び越えて自分たちのまち、自分たちが作るまちにワクワクしながらルールを考え、大人たちと討論し、子どもたちをその気にさせて行った。

■大人のネットワーク

2003年のミニさくらから関わった私(みえけんぞう)は、記念すべき第1回のミニさくらの様子は、あとから聞くことになり(※)、様々な人たちに、その人なりのミニさくら像を教えてもらった。
そのなかで、おぼろげながら感じたことが一つ。
それは、ミニさくらを実施することで、従来なら接点を持たなかったかもしれない、異なる文脈を持つ大人のネットワークが、ミニさくらという結び目で出会い、つながって行ったことだった。
子ども劇場・おやこ劇場の流れ、実施させてもらう現場である商店街や自治会の人々の流れ、そこから派生する子ども会や取り巻く大人たちの流れ、生活クラブ生協や市民ネットなど生活の自治を求める人々の流れ、中村桃子が持つ増山、喜多ゼミに連なる人々の流れ…など、実に様々な人々が、4日間のミニさくらを接点に出会い、互いにつながって行った。
その後の佐倉の子ども子育て事情やその環境はともあれ、ミニさくらを手掛かりにした人々の結びつきは、実在した。
それは、今後のドコかの場面で地域に対する信頼を育む一つの手掛かりにしていくことが出来るのだ、と思う。

■許しあえる遊びの場〜民主主義の原点

複雑な現代社会のなかで、それでも子どもたちが失敗を恐れず…いや、というより失敗なのか成功なのか吟味しもせず、ただ楽しいから目の前のあそびを精一杯、取組む姿をみて、それを良しとする大人たちが、同じ街の中に暮らしている。
複雑な社会を複雑にしているのは、ただただ、誰かが誰かにシガラんでいる、ただそれだけだ、とも言える。
シンプルに、楽しいものは楽しい、ステキなことを大切にするのは尊い、という感覚もとに「まち」をつくっていく「こどものまち」。
日ごろ気にも留めない、私たちの社会の良し悪しとその本質を見事に抽象している。
言わば、民主主義社会を組み立てる上で考慮すべき事柄が、ひと揃い、小さいながらも揃っていると思うのである。

■遊びを保障する大人たち〜遊びのサンクチュアリ

2007年の3月、全国ではじめて、ミニミュンヘン型の遊びのプログラムに取組む十一の団体が佐倉市に集まり、その主催者の頂上会議(サミット)を行なった。
そこではじめて、ミニミュンヘン型のあそびのプログラムのことを、カギカッコ付きの「こどものまち」とする事に決め、また十一のそれぞれ個性的でルールや組立ての違う取組みを包含する、最大公約数を求めて「佐倉宣言」を生み出した。

以下が、その宣言の内容3か条である。
1.「こどもがつくるまち」は、それぞれのまちを愛する気持ちから生まれている。
2.「こどもがつくるまち」は、こどもたちの決める力 変えて行く力から生まれている。
3.「こどもがつくるまち」は、圧倒的に面白くて、徹底的に遊びのまちである。

こうして、「こどものまち」がはじめて定義されつつ、全国の取組みの多様さを、互いに尊重し合う仕組みが整えられた。

現在、40を越える「こどものまち」が全国にあるが、その多くがこの宣言を知り、スピリッツを尊重してくれている。
ココで述べていることは、「こどものまち」はあそびを保障する、現代社会に生きる子どもたちにとっての掛け替えのない場のあり方であり、その作り方である。

■千葉市のひな形になり得るか〜仲間を大切にする社会に向け

我が千葉市にも「こどものまち」を作ってきた伝統がある。
2009年4月に、千葉市中央区の「きぼーるに」おいてこども環境学会の年次大会が開催され、多くの子どもたちが参加した。
その一つに、「こどものまち」も用意された。
事前の話し合いのなかで、自分たちのまちの名前を「CBT(ちばタウンの略らしい)」とし、大人たちの踏ん張りもあって、これまでに4回、「こどものまちCBT」を開催し、いまに至っている。

千葉市は、ユニセフのプログラム「こどもにやさしいまち」に名乗りを上げ、子どもを大切にしているかどうかを施策評価の一つの柱とすることを目指している。
こども市長が選挙によって選ばれ、自分たちの代表としてCBT内外で子どもの代弁を司るなか、こどものまちを子どもたち自身がコントロールし、周囲の大人たちがその姿を積極的に容認しつつ「一人前」の振る舞いを眺め、応援する。
これは、大人を含めた実社会の、見知らぬ人どうしが一緒に暮らすのに必要な「何か」を示唆している。
そう、自分たちのことは、自分たちで決め、決めたことは他者からも尊ばれる社会、という点である。

「こどものまちCBT」の中での子どもたちの奮闘、そして、その周囲の大人たちの奮闘は、それこそが未来の千葉市を先取りする、「人の声に耳を傾け、人の思いが大切にされる社会」の姿を、映し出しているのではないだろうか。