NPO法人 緑区子どもサポートセンター
   第26号 平成20年 月

〜野外生活ノススメ〜


新緑がきれいな気持ちのいい季節になってきましたね。
これからは、キャンプなどの戸外での活動が楽しめる時期です。
そこで今回は、緑区子どもサポートセンターで中学生の頃からずっとキャンプなどの活動にかかわってきた渡邉謙くんに野外生活の魅力を書いてもらいました。


「おおっと、危ない!」
 叫ぶと、その男の子はナタを持った手を止め、不思議そうに僕の顔を見上げた。
「軍手」
「あ」
軍手をはめたままの手でナタを持ってはいけない。
これは、マキ割りのときに一番気をつけなければいけないルールなのだけど、ついつい忘れてしまうことが多い。
右手にはめていた軍手をはずしはじめる男の子。
今日会ったばかりの知らない大人に注意されて、きまりが悪そうだ。黙ったまま、僕を無視するようにマキ割りを再開した。
「自然の中でご飯を作って食べるのはおいしいし、楽しいよ」と言われて来たのに、きつい口調で注意されて、気分を害したようだ。
昔に比べ、子どもたちをきちんと怒れない大人が増えていると聞く。
きっとこの男の子も、普段危ないことをしても怒られないのだろうなと思った。
僕も他人に注意したりするのが得意なほうではないのだけれど、危ないことは危ないと告げなくては。
野外生活は、自然と人とのふれあいだけではなく、人と人とのふれあいでもあるのだから。
僕がキャンプに初めて参加したのは、中学一年の夏だった。
南房総の高原のキャンプ場、親元を離れた三泊四日の野外生活だ。
参加する子どもの年齢層は、小学校四年生から中学校三年生まで。
学年、性別、住んでいる地域がバラバラにシャッフルされたタテ割りの班に、高校生以上の「指導員」が一人ずつつき、食事も睡眠も、この班で行われる……学校での課外学習では絶対に体験しないような、不思議な刺激がたくさんあった。
残念ながら、天気にはめぐまれなかった。
4日間毎日雨で、水はテントの中までしみこんで荷物を濡らしてしまう。
隣のテントでは、「もう着替えがない」と言って小学生の女の子が泣いていた。
他人が泣いているのを見ていると自分も悲しくなってしまうのが子どもの心理で、ついにホームシックにかかってしまう子もたくさんいたと記憶している。
そんな子どもたちを優しく慰めていたのが、班についていた高校生の指導員だ。
「大丈夫だよ、ご飯食べたら元気になるよ」
こんな風に子どもをなだめすかし、班の生活に戻らせていった。
班の生活といえば、食事の時も驚いた。
「なんか、こげくさくない?」
小学生の男の子が言うと、指導員の高校生(女子)が慌てて、火にかけてあった飯ごうを降ろした。
ふたの隙間からは黒い湯気が出ている。……焦げたな。
野外生活シロウトの中学生である僕にもわかった。
雨がいっそう強くなって、炊事場の屋根を叩いている。
こんな中で、黒焦げのご飯。最悪だ。
ところが、指導員の女の子は茶色くなったそのご飯をはしですくうと口に入れ、「大丈夫、おいしいよ」と笑ったのだった。
そんなわけないだろう、と思ったのだけど、他に食べるものなんかないから、僕たち子どももしかたなくそれを食べた。
「!」
言葉にならないくらいうまかった。
空腹だったからだろうか?
それとも、僕たちの舌の感覚が麻痺していたからだろうか?
……野外生活以外であんなものを食べて「うまい」と感じることなどあるはずがない。
僕たち子どもはその味にすっかり魅了され、雨なんかものともせずに、楽しい夕食の時間を過ごすことができたのだ。
「ね、おいしいでしょ?」
僕たちの顔を見て笑う高校生指導員の顔を見て、僕もいつかこうなれたらと思ったものだった。
野外生活が好きかどうかと聞かれれば、たぶん僕は「ノー」と答える。
前述のように雨が降ったらテントに水が染み込むし、逆に晴れている夏の日は朝からテント内は蒸し暑い。
炊事場には煙が立ち込めて目が痛いし、服にも髪にもにおいが染み付いて取れない。
4日間も風呂に入れなければ頭は痒くなるし、蚊やら蜘蛛やら虫が遠慮なく襲ってくる。
蚊とか蜘蛛だけならまだいいが、関東の奥地にはヒルやスズメ蜂、ヤマカガシなどの危険動物がまだまだ元気で暮らしていることもあるのだ。
こんなところに行って3泊もするくらいなら、アイスを食べながらクーラーの効いた部屋で映画でも観ていたほうがずっといいと思う。(テレビゲームはあまり得意ではない)僕はこんな人間だから、ここで「自然の中で心を解放する楽しみ」や「野外で工夫して料理を作る楽しみ」なんかを語るつもりはない。
こんなに野外生活を面倒くさいと思う僕が、どうして高校卒業後もずっとキャンプ場に足を運ぶかといえば、それはもちろん、一緒に行く仲間が好きだからだ。
年齢も性別も関係なく、一度キャンプに行ったらすぐに仲良くなれる。
野外生活には、そんな不思議な魅力がある。
そして、いろんな仲間とキャンプに行き続けた僕は、一つの発見をした。
野外生活には、それぞれの楽しみ方がある、ということだ。
鍋の下で燃える火を絶やさないように見張っている子どもがいる。
テントの組立説明書を難しい顔で睨んでいる子どもがいる。
さっきからずっと、バッタを追いかけている子どもがいる。
それぞれが楽しくて、それぞれの野外生活があるのだ。
だからこそ、野外生活を知らない子どもたちには、ぜひ一度、体験して欲しいと思うのだ。
家でテレビゲームばかりやっている男の子。
こういう子は案外、野外生活をする上でぶつかる様々なトラブルを、ゲーム感覚で笑いながら解決して、班のメンバーに頼られるかもしれない。
どうしようもなく困った時に、子どもの笑顔ほど救いになるものはないのだ。
無口で、本ばっかり読んでいる女の子。
こういう子がふだん研ぎ澄ましている感受性は、図書館を離れて自然の中に飛び出してきた時にこそ、きっと威力を発揮する。
自然の中で目をつぶり、よく言うように小川のせせらぎや小鳥のさえずりなんかに耳を傾け、僕が何年キャンプ場に通ってもついに聞くことのできなかった「森の声」っていうやつを、すぐにキャッチしたりできるのだろう。
そしてそして、何かあるとすぐに落ち込んだり部屋に引きこもってしまい、学校でもいじめられているのではないか?という不安のある子ども。
こういう子こそ、野外で役に立つチャンスなのだ。
ふだん元気な子が、ホームシックにかかることがある。
ふだんから人の痛みを知り、心の弱さを知っている子がそばにいることが、ホームシックの経験のない子にとってどれだけ心強いことか。
僕たち大人がどんなに頑張っても作り出せない安心感がそこにはあるのだ。
とにかく、野外生活で役に立たない子なんて、一人もいない。
「野外生活なんて、したくないよ」そう思っている子どもこそ、自然は待っているのだと思う。
「いただきます」
僕は出来上がったカレーをスプーンですくって、口に運ぶ。
これを食べ終わったら、仕事に行かなくては。
今日は子どもたちをキャンプに誘うための、お楽しみ企画。
昭和の森のキャンプ場を借りて、カレーを作ろうという内容だ。
僕は仕事が夕方からなので手伝いに来ていた。
初めてマキ割りや火付けをする子どもたちが危なくないように見ていてくれということだった。
「さて」
カレーを食べ終わって、そろそろ行こうかと思ったその時、
「うちの班のも、食べてよ」
振り返ると、一人の子どもが、一皿のカレーを差し出していた。
マキ割りの時に、僕が注意した男の子だった。
「おう」
僕は二皿目のカレーを食べ始めた。
自然の中では、年齢なんか関係なく、友達になれる。
きっとこの子は、野外生活の魅力にもう気づいてしまったのだろうと、僕は思った。